天使の足跡〜恋幟
「ただいま」
玄関のドアを開けると、スリッパを鳴らして母さんが駆けてくる。
「お帰り!」
もう一度ただいまを言って、父さんと二人、靴を脱いで上がる。
そうしているうちに母さんは僕の荷物をさっさと2階へ運び始める。
「いいよ、自分で持ってく」
「いいから、休んで」
ちょっと振り返って僕を見るその顔に、笑顔が浮かべられていて安心する。
脱いだブルゾンは玄関脇のクローゼットの中にしまった。
我が家の上着はいつもここにかけて置くという習慣があった。
リビングに歩いてくると、先にソファーに腰掛けた父さんがニュースを見ながら「風呂? 飯?」と尋ねてくる。
僕は即座に「どっちでも」と答えた。
僕らに決定権はない。あるのは母さんだ。
父さんもそれは知っているはずだが、長旅をしてきた僕への労いを表したかったのだと思う。
その会話からほどなくして母がやってくると、
「お腹減ったでしょ? 冷めないうちに夕食にしましょ」
と母さんは言う。
ほら、やっぱり決めるのは母さんだ。
僕たちは決まった席に着いて食べ始めた。
車の中では父さんに質問されたが、今度は母さんが尋問を始める。
学校はどう? バイトは? 友達は? ……最初はありきたりな問いばかりだったから、完全に油断していたところに、
「カノジョはできた?」
という予想もしない送球があって、すすっていた味噌汁で咳き込んだ。
慌てて水で流しこむ。
「なんだそれ」
不快を露わに尋ね返すと、母さんは悪びれもせず笑っていた。
「もう2年生だし、17歳だし? いるんじゃないかなぁって」
「母さん、そんなの後で話せよ。食事中に話さなくても」
父さんに窘(たしな)められて、母さんはちょっと肩をすくめた。顔は笑っていたけれど。
「だって、気になるじゃない。まさかバイトと勉強ばっかりしてる訳じゃないでしょ?」
「飯ぐらいゆっくり食わせてやれよ、なあ拓也?」
「うんうん」