六天楼(りくてんろう)の宝珠
──皮肉の応酬だな。

 だが次の瞬間、碩有の顔は面を被った様な笑みを取り戻していた。

「それはこちらの言葉でしょう。扶慶殿は民の信頼も篤いご様子。長い年月には様々な出来事があるでしょうに、町を発展させ続けるのはかなりの手腕を問われるものと思います。期待しておりますよ──数値だけではなく、内実の伴った正確な報告を頂ける事を」

「いやはや、お手柔らかにお願いしたいものですが……では工場内をご案内しますよ」

 はは、と笑って扶慶は二人に先立って歩き出した。

 園氏の姿はいつの間にか消えている。持ち場に戻ったのだろうと、朗世は居並ぶ工員達を視線で一撫でした。

 工場の男女の比率はほぼ同数。やや女性が多い、という程度である。領土内の特徴として、男女に職業の別はほとんどない。衛兵でさえも女性がいる位なので、それはごく普通の光景だ。

 問題は──清潔そうな作業着を着てはいるものの、皆一様に顔色が良くない点だった。唇は干からびて皮が固まっているし、指も乾燥して荒れている。確かに普段の園氏の格好では全く馴染めないだろう。

 労働者が領主一族の様に装う事は出来ないにしても、多数の人間が健康を損ねるにはそれなりの理由があるに違いない。

 そこまで観察して彼は、一歩前を歩く碩有の視線がある場所に固定されているのに気づいた。

「御館様、どうかなさったのですか」

 どうという事のない状況に見える。並んだ者達の年齢層は結構広い。若い女も何人かいた。

 夫人に夢中な先刻の様子を見ていたから、すっかり失念していたが──もしや気に入った娘でもいたのだろうか、と考えて──漸く彼は、その女性に見覚えがある事に気がついた。年の頃は二十ニ、三。記憶が正しければ二十三になる筈だ。

──様子が変わっていたから、わからなかったが。この娘。

 今日は貴重な一日として記憶に残るに違いない。御館様が惚気(のろけ)たり狼狽(うろた)えたりするなど、かつてない出来事だ。

「……榮葉(えいは)」

主の呆然とした声を聞きながら、朗世は思わず我が耳を疑った。
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