六天楼(りくてんろう)の宝珠
 槐宛は鼻を鳴らして、意に介した様子もない。

「何を言う、紗甫。お前こそ侍女の癖に主人に邸内の話を聞かせないとは何事か。もはや奥方様は枯れ気味の老人の愛妾ではないのですぞ。いつ敵が来るとも知れないと言うのに」

「翠玉様! 槐苑様のお話を信じてはなりません」

「だから一体何の話をしているのかわからないって──」

 眉をひそめる女主人に、「客人は女だという話ですよ」と槐宛は吐き捨てた。

「女性?」

「桐の榮葉と申せば、二年前まで御館様の情けを受けていた者なのです。邸の人間は誰もが知っている事実。奥方様だけが知らないというわけには参りますまい」

「槐宛様!」

 叫び声を上げた紗甫は、次いで恐る恐る主人の顔を窺った。

 翠玉は答えない。不思議そうな表情をしたまま、まるで凍り付いたかの様に見える。

 突然それまで彼女の膝でくつろいでいた莱が、飼い主の手が毛を掴むのに驚いて「ギャッ」と短く鳴き声を上げた。

「莱!?」

 翠玉が我に返った時には既に猫は庭先へと逃げ出してしまっていた。

「奥様……」

 気遣わしげな紗甫の声。彼女は普段通りに侍女を安心させる様に苦笑してみせる。

「どうしたのかしら。……困ったわ。また何処に迷い込んでしまうか……」
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