六天楼(りくてんろう)の宝珠
「ごめんなさい、探し物の途中なの。失礼します」

 余りにも混乱していて、振り返る事も出来ない。

 背中越しにそう言うのがやっとだった。
 
──桐で知り合いに譲ってもらったと。そう碩有様は仰っていなかったか。

 二年前まで、関係のあった女性。

 それは自分と結婚するほんの少し前の話だ。

 だが戴剋が自分を枕頭に呼んで彼と引き合わせたのは一年半ほど前だが、もし以前から内々に話していたとしたら?

 勢いを付けて、思考は暗い方へと傾いていく。

──お祖父様思いの碩有様。それに当主の遺言は絶対だ。断れるはずがない。

 だから自分に今まで触れなかったのだろうか。

 庭の半ばまで引き返して翠玉は立ち止まった。

 首飾りの留め金を外そうとしたが、指が震えて思うように外せない。

 そうこうしている内にふと思いとどまった。

──待って。まだ。……ご本人に、確かめてみよう。

 日ごと向けられる暖かな笑顔。

 優しい言葉や眼差し、壊れ物を扱う様な仕草。

 戴剋も守ってはくれたが、碩有のそれは全く違う。

 ただそこにいるだけで安心するのに、それでいて己の何かを深くかき乱される。

 あの日々が全て気のせいだったなんて思いたくない。

 結局莉を探す事もせず、彼女はとぼとぼと六天楼に戻った。

 心配そうにしている紗甫の気持ちはありがたかったが、今は会話する気力もない。

 一人にして欲しいと告げ、翠玉は長椅子に伏せって時を待った。いずれ来るであろう、その時を。

※※※※

 妻の浮かない顔に碩有は怪訝そうな顔をしていたが、とりあえずすぐにはそれを口に出す気配はなかった。

 だからいつもの様に今日あった出来事を話した。しかし翠玉は生返事をするばかりで聞いているのかいないのかわからない。それでもあくまでも優しく、「具合でも悪いのですか」と問いかけて来たのだった。

「いいえ」
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