六天楼(りくてんろう)の宝珠
八 恋着
 「妾」という言葉に、翠玉の胸が痛んだ。

 息が苦しくなったのは、寝台に押さえ付けられ身動きが取れないからだけではない。

 視界を塞ぐ夫の顔は影になっていて、どんな表情をしているのかはよく見えなかった。だが何処かが痛むのか、という様な苦しげな様子は何となくわかった。

 それでいて危険な雰囲気を漂わせていて、それまでは抵抗するのも躊躇(ためら)われたのだが。

「……貴方こそ、私をそんな風に思っていらっしゃるのね」

 視線を逸らし、不自由ながら首を横に回して呟く。

 これは本人以外誰も知らない事だが、戴剋は生前翠玉に指一本触れなかった。

 生家にいた頃に婚約者もいた。しかし清らかな関係で終わった為、当然今も男性経験はない。戴剋の本意は今となっては不明だが、側室とは言っても人目に触れさせず、ただ大事な孫娘の様に扱われていた。

 世間一般の側室がどの様に見られているか、彼女も知らないわけではない。ましてや自分は戴剋が亡くなる寸前まで、片時も離されず側に侍していた。いくら遺言があっても内実は所詮身分低い愛玩用の女、そういう扱いなのだろう。

 結婚当初は翠玉もある程度の覚悟はしていた。けれど碩有は自分を本当に大事に扱ってくれたから、この人は違うのだと思い始めていたのだ。考えてみれば高が結婚して半年。仮面が剥がれただけの事かもしれない。

 そう思うと、何もかもがどうでも良いと思えて来た。

「ならばその様に扱われたらよろしいじゃありませんか……もう、思い悩むのは沢山です」

 翠玉は目を閉じた。

 何だかよくわからないが、怒らせたのだから殴られたりするかもしれない。せめてその時、碩有の顔を見ていたくなかった。

 自分がよく知る彼は、いつも優しく暖かに微笑んでいたから。

 全くの暗闇が訪れる。碩有と己の息遣いだけが、彼女の五感を支配した。

 どの位そうしていたものか。予期したそのいずれも訪れず、恐る恐る翠玉は目を細く開けた。
< 57 / 94 >

この作品をシェア

pagetop