六天楼(りくてんろう)の宝珠
──誰?

 ここに来てより、戴剋と碩有以外の男性を見たのは初めてである。翠玉は状況の異常さに為す術もなく、立ち竦んでただ傍らの夫を見上げた。

「これはこれは、扶慶殿」

 冷ややかな笑みの貼り付いた碩有の顔は、先ほどまでとはいっそ別人にさえ見える。

 すい、と前に出て背中に翠玉を隠した。

「次の間にて控えている様にと伝えた筈ですが、何故この様な場所に?」

「──申し訳ありません、御館様。見張りの者の目を盗んで房を抜け出した様です」

 答えたのは問われた本人ではなく、次いで茂みより現れた朗世だった。後を追う様に次々と屋敷を守っている衛兵が現れる。

「これが黙っていられるか! 何だこの書類は──儂はこんなもの書いた覚えなどない!」

 朗世が手を挙げ合図すると、衛兵達が扶慶を取り囲んだ。持っていた槍で首根を押さえ、彼は正座のまま地面に這いつくばる格好にさせられる。

 その手から書類を取り上げて、朗世は皺を伸ばし読み上げた。

「『領土の監督不行き届きに付き、町に悪弊及び病を蔓延させてしまいました。責任を取って免職を申し出ます。付きましては民の治療の為に私財を全てこの弁済に充てさせて頂きたく、申し添えます』──ここに貴方の爪印もあります。事実がどうであれ、この書類は正式な用紙に書かれていますので、御館様の名の元に効力を発します。召喚状にその旨記載があったと思いますが」

「だからそれがおかしいと言うのだ! その用紙は洛庁でなければ手に入らぬ筈ではないか! 貴様等、儂を嵌めおったな!!」

「無礼な! 控えられよ」

 扶慶の首に槍の柄が一層食い込んだ。呻き声が聞こえる。

 尚も拷問を続けようとする朗世を主の声が制した。
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