六天楼(りくてんろう)の宝珠
 庶民育ちの翠玉は、父に母以外の妻がいることなど想像出来なかった。両親は仲も睦まじく、彼女自身いつかは一人の男性と家庭を持つことをなんとなく思い描いていたものだ。

 思いがけない出来事でここに側室として来ることになりはしたが、そういう環境で陶家に入るまで暮らしてきたのだ。

 六天楼に現在、他の側室はいなかった為失念していた。高齢になって尼僧院に入ったり、氏族の者に下げ渡されたとは聞いていたけれども──ここでは、側室を持つのが当たり前なのである。人格者で聞こえた碩有でさえも、所詮は貴族の男なのだろう。

 冷たい態度は、暗に自分がお飾りの正妻になることを示しているように思えて──何だか哀しくなった。

──いいわ。それならそれで、尼僧になったと思って役目を果たせばいい。

 怒りなのか悔しさなのか、よくわからない気持ちを追いやって、彼女は夫の寝室へと引き返して行った。





 医師の宣告を不幸にも裏切ることなく、その後間もなく戴剋は七十八年と五ヶ月の生涯に幕を下ろした。

 葬儀は盛大に執り行われた。領民も平和な治世の一つの終焉(しゅうえん)を厳粛(げんしゅく)な気持ちで受け止めていたのか、参列を許されないはずの葬儀の場に、遠まきに群がる人々の姿もかいま見られた。

 それは陶家の中でも言うまでもなく、翠玉を始め一族の者は一年間喪に服すこととなった。間に遺言は公開され、彼女の期待は外れ碩有の言葉通り、否と申し立てる者は誰一人いなかった。

 新たに当主となった碩有は、同時に宣言した。

 一年の喪が明けたら──その時は翠玉を正妻として迎えると。



 そして四つの季節が通り過ぎ、やはり彼女の期待は外れることとなったのだった。




< 8 / 94 >

この作品をシェア

pagetop