蜘蛛ノ糸

道中、市川が後ろに乗っている私に、明るく声を投げかけてきた。


「良かったな」

「何が?」


一瞬だけ振り向いた彼が本当に嬉しそうだったので驚いた。


「お前、まだ死んでなかったじゃん」

「う、うん。……ていうか、何でそんなにご機嫌なわけ? さっきまであんなに無愛想だったくせに」


市川は、あはっと短く笑った。


「仕事上、死んだヤツの前で楽しそうに笑えねーだろ?」

「仕事?」

「あ、こっちの話。──とにかく、良かったよ。生き返る見込みのあるヤツの方がやる気出るしな」

「えっ!? あたし生き返れるの!?」

「体は残ってるからな。後は、迷いこんだ理由が分かれば何とかなる。もしかしたら、あんたしか知らない心の問題じゃないの? 自分の顔見て一晩考えてみろよ」

「うん……」






病院に着くと、母に教えられた病室に向かった。

ベッドの上に横たわっている“私”を見て、力が抜けてしまいそうになった。


顔や体の傷跡は、大したものじゃない。頭の打ちどころが悪かったそうだ。

人工呼吸器や点滴の管や心拍を表示するモニターの全てが、私を束縛する鎖に見えた。


私はそこにいるのに、私じゃないみたい──。


市川は私を丸椅子に座らせると、眠っている“私”を見下ろして言った。


「あんたの母さんが言うとおり、奇跡だよ。普通なら死んでたと思う。よほど『死にきれない理由』があったんだろうな。
……その理由を思い出すのが、今するべき事だ」


市川はカバンを担ぎ直して扉の前に立った。


「どこ行くの?」

「お前の友達なら、何か知ってるかもしれないだろ」


言い終わるか終わらないかのうちに病室を後にした。


窓の外を見ると、あんなに高く上っていた陽が、もうずいぶん低いところまで傾いていた。


時間は徐々に過ぎていく。

私の記憶も擦り減っていく。


「思い出すったって……無理だよ……もう記憶がないんだからさぁ」


ベッドの上に顔を伏した。
< 17 / 60 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop