蜘蛛ノ糸
道中、市川が後ろに乗っている私に、明るく声を投げかけてきた。
「良かったな」
「何が?」
一瞬だけ振り向いた彼が本当に嬉しそうだったので驚いた。
「お前、まだ死んでなかったじゃん」
「う、うん。……ていうか、何でそんなにご機嫌なわけ? さっきまであんなに無愛想だったくせに」
市川は、あはっと短く笑った。
「仕事上、死んだヤツの前で楽しそうに笑えねーだろ?」
「仕事?」
「あ、こっちの話。──とにかく、良かったよ。生き返る見込みのあるヤツの方がやる気出るしな」
「えっ!? あたし生き返れるの!?」
「体は残ってるからな。後は、迷いこんだ理由が分かれば何とかなる。もしかしたら、あんたしか知らない心の問題じゃないの? 自分の顔見て一晩考えてみろよ」
「うん……」
病院に着くと、母に教えられた病室に向かった。
ベッドの上に横たわっている“私”を見て、力が抜けてしまいそうになった。
顔や体の傷跡は、大したものじゃない。頭の打ちどころが悪かったそうだ。
人工呼吸器や点滴の管や心拍を表示するモニターの全てが、私を束縛する鎖に見えた。
私はそこにいるのに、私じゃないみたい──。
市川は私を丸椅子に座らせると、眠っている“私”を見下ろして言った。
「あんたの母さんが言うとおり、奇跡だよ。普通なら死んでたと思う。よほど『死にきれない理由』があったんだろうな。
……その理由を思い出すのが、今するべき事だ」
市川はカバンを担ぎ直して扉の前に立った。
「どこ行くの?」
「お前の友達なら、何か知ってるかもしれないだろ」
言い終わるか終わらないかのうちに病室を後にした。
窓の外を見ると、あんなに高く上っていた陽が、もうずいぶん低いところまで傾いていた。
時間は徐々に過ぎていく。
私の記憶も擦り減っていく。
「思い出すったって……無理だよ……もう記憶がないんだからさぁ」
ベッドの上に顔を伏した。