九十九怪怪
景色が只の線にしか見えない。
その位、速く移動しているという事だ。こんな経験、めったに出来ない。というか、一生ないはずなのに。慣れない光景に、酔いそうな私はひたすら、男の肩口に頭を埋めるしかなかった。
「山を抜けた。家は何処だ」
「こっ、このまま南へ行って二つ村を抜けた所です」
「わかった」
必要最低限の会話しか交わさない。今日会ったばかりの者と話さなければならない事なんてないから必然的に沈黙が続く。耳には、風を切る音しか聴こえない。
「…村を二つ越えたぞ。どうする?家の近くまで送ってやってもいいぞ」
「え、あ、大丈夫ですここで」
やっぱり俺様だ。
男の言葉遣いが気になりながらもそう答える。すると、すっと優しく下ろされ、足がゆっくりアスファルトについた。
「あ、ありがとうございました」
「今晩の事は、忘れた方がいい」
謝罪をしたのにも関わらず、それに反応はせず会話が繋がらない。
今晩の事は忘れる。
出来たらそうしたいものだ。
「あっ…でも、吸血鬼なら能力で相手の記憶が消せるとかじゃないんですか?」
「は?アンタ、ファンタジーの読み過ぎなんじゃないのか?…有り得ない。吸血鬼はただ、本能のままに血をむさぼるだけの生き物だ」
「…………」
言葉が紡げなかった。だって、そう言った男の目が憎悪の色を宿していたから。まるで、自身を嫌悪しているみたいな。
哀しい瞳だった。