苦くて甘い恋愛中毒
1章
身勝手な男
真っ暗な夜道にヒールの音が響く。
棒にでもなりそうな足を、黒のTストラップパンプスがかろうじて彩っている。馬鹿みたいに細い踵のおかげで足の裏は豆だらけだし、決して履き心地がいいとは言い難いけれど、それでも歯を食いしばって足を通すのは、もはや女としての意地だ。
ジャケットに突っ込んだiPhoneが震え、どこかの公式アカウントからだろうと予測しながらも画面を確認する。
しかし、そこには見慣れたゴシック体で、意外な人物から想像通りのメッセージが表示されていた。
『今帰国。腹減った』
愛想もなにもあったもんじゃない。
用件しか伝えず、こちらの都合なんてお構いなし。内容だって、コピペか定型文かと思うほど、一文字も変わらない。
そもそも出国していた事実を知らないし、人を呼びつけるにしたって常識的な時間は優に過ぎている。
よくもまぁこんなに身勝手なのかと、いっそのこと尊敬に値する。
『了解』
私もいつもとまったく同じ言葉を返す。
どれだけ心の中で不平を唱えようとも、〝帰国いちばんに、他の誰でもなく私を呼びつけた〟ことに結局は懐柔し、彼の要求に従うことになるのだ。
酷使しきった足に喝を入れ、最寄りのスーパーへと踵を返すのと同時に、ため息が夜に溶けた。
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