夕陽の向う
3-3
元には、睦子の思いが判る気がする。
仮に逆の立場だったら、睦子が自分の死をたやすく言葉にするのは嫌だったかもしれない。
自分の死を口にする時、他人には、その人が人生をあきらめているような印象を与えるかもしれない。
でも、元が思っているのは、諦めなんかじゃない。
むしろ、最後まで諦めないで、
元気なら言うことは無いけど、
元気じゃなくなっても、
生きている限りは、
死ぬまでは、
自分の気持ちを保って生きていきたい。
ブログは、余命宣告から2ヵ月後に立ちあがった。
発病のころのことから、投稿した学年通信の内容からと紹介していくと、コメントを返してくれる人が出てきた。
ブログへのコメントではなくて、直接電話やE-メールを送ってくれる知人も増えた。
教え子や、以前の教え子からも連絡がきた。
見舞いに来てくれる人もいる。
改めて、ブログの威力を認識して、ありがたいと思う。
中でも、特にうれしいのは、やっぱり、全く知らない人からのコメントだ。
元も、慣れないブログを始めたのだけれど、読んでくれる人も、必ずしもみんなが慣れているわけではないようで、おっかなびっくりという感じでコメントを書いてくれる人もいる。
それが余計にうれしいと思う。
元には、睦子の思いが判る気がする。
仮に逆の立場だったら、睦子が自分の死をたやすく言葉にするのは嫌だったかもしれない。
自分の死を口にする時、他人には、その人が人生をあきらめているような印象を与えるかもしれない。
でも、元が思っているのは、諦めなんかじゃない。
むしろ、最後まで諦めないで、
元気なら言うことは無いけど、
元気じゃなくなっても、
生きている限りは、
死ぬまでは、
自分の気持ちを保って生きていきたい。
ブログは、余命宣告から2ヵ月後に立ちあがった。
発病のころのことから、投稿した学年通信の内容からと紹介していくと、コメントを返してくれる人が出てきた。
ブログへのコメントではなくて、直接電話やE-メールを送ってくれる知人も増えた。
教え子や、以前の教え子からも連絡がきた。
見舞いに来てくれる人もいる。
改めて、ブログの威力を認識して、ありがたいと思う。
中でも、特にうれしいのは、やっぱり、全く知らない人からのコメントだ。
元も、慣れないブログを始めたのだけれど、読んでくれる人も、必ずしもみんなが慣れているわけではないようで、おっかなびっくりという感じでコメントを書いてくれる人もいる。
それが余計にうれしいと思う。