夕陽の向う
夕陽の向う
4-1
元はある日、ブログにこんなことを書いた。
あなたは神様の存在を信じますかということだ。
ここでいう神様は、キリスト教的な神で、
この世を人類の為に創り、
そこに人類を誕生させてその行動を監視する。
善き行いの人は、天国に召され、
悪しき行いの人は地獄に落とされる。
天国に行けば、その後、永遠の幸福が約束され、
地獄に落ちれば、永遠の苦痛が強いられる。
このことについて、パスカルは、
「人は皆、生きていくからには、神がいるかいないか、どちらかに賭けなければいけない。
いることに賭けて、善き行いをすれば、実際にいた時に天国に迎えられる。
仮に実際にはいなかったとしても、そのことでどれほどの損を被るだろうか。
一方、神はいないことに賭けて、悪しき行いに走った時、もし実際にいたら、地獄に落ちてしまう。
仮に本当にいなかったとして、そのことでどれだけの利益が得られるというのか。
人は神が存在することに賭けるべきだ。」
と言っている。
このことを書いて、いろいろな反応をもらった。
でも、元は、自分がこんなことを問いかけたのだけど、どちらも違うと思っている。
自分に受け入れやすいのは、このような、キリスト教的な神ではなく、仏教的な思想だ。
この世は、人類の為に存在するのではなくて、人類はこの世の数多くのものの中の一つでしかない。
魂は輪廻転生し、来世は違う生物に生まれるかもしれない。
いや、むしろ、魂にも、来世もあの世もなく、死ねばすべて無になると考えるほうが判りやすい。
元はある日、ブログにこんなことを書いた。
あなたは神様の存在を信じますかということだ。
ここでいう神様は、キリスト教的な神で、
この世を人類の為に創り、
そこに人類を誕生させてその行動を監視する。
善き行いの人は、天国に召され、
悪しき行いの人は地獄に落とされる。
天国に行けば、その後、永遠の幸福が約束され、
地獄に落ちれば、永遠の苦痛が強いられる。
このことについて、パスカルは、
「人は皆、生きていくからには、神がいるかいないか、どちらかに賭けなければいけない。
いることに賭けて、善き行いをすれば、実際にいた時に天国に迎えられる。
仮に実際にはいなかったとしても、そのことでどれほどの損を被るだろうか。
一方、神はいないことに賭けて、悪しき行いに走った時、もし実際にいたら、地獄に落ちてしまう。
仮に本当にいなかったとして、そのことでどれだけの利益が得られるというのか。
人は神が存在することに賭けるべきだ。」
と言っている。
このことを書いて、いろいろな反応をもらった。
でも、元は、自分がこんなことを問いかけたのだけど、どちらも違うと思っている。
自分に受け入れやすいのは、このような、キリスト教的な神ではなく、仏教的な思想だ。
この世は、人類の為に存在するのではなくて、人類はこの世の数多くのものの中の一つでしかない。
魂は輪廻転生し、来世は違う生物に生まれるかもしれない。
いや、むしろ、魂にも、来世もあの世もなく、死ねばすべて無になると考えるほうが判りやすい。