新しい歌
殆ど仮眠程度しか眠っていなかったのだが、私は眠気も消し飛ぶ程に興奮を抑えかねていた。
檜町公園の隣に建つビルに入っているそのスタジオは、私にとっては単なるレコーディングスタジオではなかった。
ここから、ロンリーハーツが生まれた。
私達の年代の多くがそうであるように、音楽に目覚めるきっかけを与えてくれたのは、ビートルズであった。
1966年6月30日。
東京オリンピックの柔道会場として使用された九段の日本武道館で、初のコンサートを彼等は行った。
当時、中学生だった私は、たまたま親戚に音楽関係者が居たお陰でチケットが手に入り、生で彼等のステージを観る事が出来た。それまで日本の歌謡曲位しか耳にした事がなかった少年には、強烈過ぎる程の衝撃だった。
コンサートの翌日、私は親にねだってエレキギターを買って貰い、以来、音楽の世界は私の生活そのものになった。
高校の時に伏木心也とクラスが一緒になり、彼もビートルズにやられた口だったから、すぐに意気投合した。バンドを組まないかとどちらからともなく言い出し、何度かメンバーを入れ替えてはビートルズのコピーをしまくっていた。
プロになるきっかけは、武道館コンサートの時と同様、私の親戚が絡んでいた。
「ある大手の芸能プロダクションで、新しいバンドのオーデションがあるが、出てみないか」
1972年、春と呼ぶにはまだ早い頃だった。