赤い白ワイン
すべてのはじまり
それは、旧星雲歴で1989年の5月末。
長雨の時季が始まったばかりの頃だった。

普段どおり私は仕事場へ向かうため、ウェルディア通りを一人歩いていた。
傘を差しても防ぎ切れない湿気でべとつく髪が額に執拗に纏わり付いてくる。
まるで娼婦のように。

私は眉根を寄せた。
不快を示す表情。
この雨に対して?
いいや。
この街に、自分自身に不快・嫌気を感じているからだ。
口には出さない。
表情だけで語る。
この街に、まともと言える言葉なんてありはしないのだから。

このような慈悲も慈愛も無い雨の中でも、意外にも人間は強いようだ。
行き交い、擦れ違い、お互いを知ることも、顔すら見ることもなく生きている。

もし自分が死んでいたとしても分からないような、感覚も思考も浮遊状態の町、トークドック。

その中で唯一口に銜えた煙草の煙だけが私に自分が存在していること、生きていることを実感・自覚させ、健気に執拗に私を現実という監獄に留めている。
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