アタシタチノオウジサマ
あたしの父は芸能事務所を中心とした大手企業の社長だった。
母はその事務所の看板女優で、父亡き後に社長の座についた。
あたしが小学生の頃の話である。
それ以来、母の性格は豹変した。
自分の事業の妨げになるものは切り捨て、必要なものを大事にする。
それが母のやり方だった。
家庭においても同じだった。
将来この会社を継ぐことになる弟を溺愛し、私は一緒に住んでいるだけの娘という扱いだった。
いつか、どっかの御曹司なんかと結婚でもすればいい。
母にとってあたしはそういう存在だった。
あたしはそんな母に気に入られるように頑張った。
成績はいつも一番だったし、ピアノ・バレエ・習字にお華、習い事はほぼ毎日通い続けた。
塾に通い始めてからは、毎晩遅くまで勉強し、どうにか偏差値の高い私立中学へ入学することができた。
でも、オール10の通知表を持って帰ったときも、ピアノのコンクールで一位になったときも、合格発表のときも…。
褒めてくれたのは母ではなかった。
いつも褒めてくれるのは使用人たちだった。
正直言って、母に育てられた記憶なんてない。
使用人たちは親代わりのようにあたしを育ててくれた。
すごく嬉しかったけど、母への不信感はどんどん高まっていくばかりだった。
母はその事務所の看板女優で、父亡き後に社長の座についた。
あたしが小学生の頃の話である。
それ以来、母の性格は豹変した。
自分の事業の妨げになるものは切り捨て、必要なものを大事にする。
それが母のやり方だった。
家庭においても同じだった。
将来この会社を継ぐことになる弟を溺愛し、私は一緒に住んでいるだけの娘という扱いだった。
いつか、どっかの御曹司なんかと結婚でもすればいい。
母にとってあたしはそういう存在だった。
あたしはそんな母に気に入られるように頑張った。
成績はいつも一番だったし、ピアノ・バレエ・習字にお華、習い事はほぼ毎日通い続けた。
塾に通い始めてからは、毎晩遅くまで勉強し、どうにか偏差値の高い私立中学へ入学することができた。
でも、オール10の通知表を持って帰ったときも、ピアノのコンクールで一位になったときも、合格発表のときも…。
褒めてくれたのは母ではなかった。
いつも褒めてくれるのは使用人たちだった。
正直言って、母に育てられた記憶なんてない。
使用人たちは親代わりのようにあたしを育ててくれた。
すごく嬉しかったけど、母への不信感はどんどん高まっていくばかりだった。