鏡の彼
 練習が一段落して、他の子達はみんな帰り支度を始めていた。この期間だけは部活も休みとなっている。大会がある音楽部を除いては。

 私はすぐさま、音楽室へと直行した。まだ、楽譜を手放せない。

 私は、ある決心をしていた。


――当日は楽譜なしで演奏する。


 楽譜に気を取られて、私だけがクラスの輪から外れてはいけない。例え、ピアノ担当というみんなとは違う役目であっても私はクラスと一つになりたかった。指揮者はみんなの推薦で秋本くんに決定。秋本くんも同じ思いかもしれない。

 楽譜を開いて、私はなるべく楽譜に目をやらずに演奏を始める。


(辛いのは君だけじゃない……)


 最初のフレーズですでに二回も楽譜に目をやってしまった。そして、最後の部分。


(君には、大切な人がたくさんいる……)


 合計で十数回。このままじゃ間に合わない……。


「渡辺――?」


 隣にいたのは、秋本くん。
 声に気付かなかった。秋本くんは何度も呼びかけたんだけど、と私に言っている。


「ご、ごめん……」
「あ、こっちこそ悪いな。練習の最中にさ」


 秋本くんは謝るが、私は何度も気にしないで、と繰り返す。


「――なんかさ、渡辺最近大丈夫か?」
「……え?」


 思わぬ質問に私は困り顔になった。


「なんかさ、音が荒れてるっていうか、なんか前と違うんだよな……」


 自分でも理解していなかった音の乱れ。ううん、本当は理解したくなかっただけかもしれない。


「疲れてる? それか、悩みがあるんなら話せよ。俺でよければ、話ぐらいは聞けるかもしれないし……」


 と、若干秋本くんの頬が紅くなった気がした。


「……大丈夫だよ」


 たどたどしい口調なんてすぐにバレてしまうのに……。


「渡辺……。嘘付くのヘタすぎ」


 案の定、お見通しだ。
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