鏡の彼
「きみ、だあれ?」
 笑顔で彼は鏡の私に聞いている。


「あたしはね、きみで、きみはあたしなの」
 彼はわかならい、という仕草で首を傾けていた。


「きみはひとりなの?」
 彼がもう一度聞くと、私ははっきりと頷いていた。


「じゃあ、おいでよ!」
 彼は鏡の私に手を出したが、私はううん、とこれを拒んでいる。行きたくとも来れない。小さいながらに理解していたのだろう。私はちょっぴり寂しげな顔をしながら二人を見守っている。

 少しの間、沈黙がよぎる。私は彼の前で隔てた鏡に手を当てていた。彼も私に手を当てて、繋がっている、そんな錯覚を楽しんでいた。


「ねえ」
 すると、鏡の私が言った。


「おかあさん、さみしい?」
 最初、何の意味だか理解できずにいた彼だったが、私の言葉を思い出したのか、勘違いしてしまったのか、彼はすぐさま答えていた。


「うん、さみしい……」
「そっか……」
 これに合図して、私も顔を沈めている。彼の思惑と私の思惑は一致していたようだ。


「……きみは、ぼくなんだよね?」
「うん」
 今度は彼の方から問いかけてくる。


「じゃあ、ぼくがそこに入ったら出られる?」
 私は彼の眼差しを真剣に捉えていた。ここが核心なのだろう。


「うん」
 変わらず鏡の私は、はっきりと物事を告げている。

 止めて、と私は制止していた。だが、幻に私の声など届くはずもなかった。


「このかがみはね、はんたいをうつせるの。でも、いまははんたいじゃないの」
 尚も私は続けている。
「だから、はんたいをうつしてもらえるようにかみさまにおねがいするの!」


 神様……。この世に本当に神様なんているのだろうか、私は半信半疑だ。でも、彼は心から信じている。小さな子の強く固い決心。自分では母を救い切れないから、君に託したいんだ、と――

 子供の心は純粋。だけど何よりも強い。


「じゃあ、みっつかぞえたらめをあけてね!」
「うん!」
 私は彼にそう教えていた。指を立てて、じゃあいくよ! と合図する。
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