モノクロォムの硝子鳥
「私は……何も要りません。何も、欲しく無いです」
九鬼の視線から逃れたい気持ちが先走り、抑揚の無い乾いた声を絞り出す。
九鬼に見られている……ただそれだけなのに、寒気とは違う、得体の知れない震えが身体をなぞる。
ソファーに縫い止められたように身体は固く強張ったまま、互いに触れ合える距離で視線だけが絡み合っていた。
「それは本心からの言葉では無いでしょう? 考えてはいけません、思うままを言葉にして下さい」
口調は丁寧でも、あっさりとひゆの言葉は切り捨てられて、困惑はますます深まっていく。
本当に何も欲しく無いのにどうして分かってくれないのかと、焦れてスカートをギュっと握り締めた。
九鬼は静かに手を伸ばすと、スカートを強く握り締めているひゆの手を優しく包み込む。
触れられた瞬間、驚いて咄嗟に手を引こうとしたが、ひゆの手はしっかりと九鬼の大きな掌に捉えられて逃げられなかった。
「手を……離して、下さい」
「本心をお伺い出来ましたら、直ぐにでも」
「私、本当に何も要らないんです。遺言の事だったら、遺産なんて私は元々知らなかったし、欲しい人が貰えば良いじゃないですか!」
語尾を荒げ、キッと睨み付けるように九鬼を見据える。
けれどひゆの様子に動じる事無く、九鬼は微笑を浮かべたままだ。
「貴女でなけらばならないのです。誰一人、蓮水様の替わりなど成り得ません」
九鬼の手に僅かに力が篭められる。
右の掌でひゆの手を包んだまま、もう片方の手は伸び上がり、優しい手つきでひゆの頬へと添えられた。
頬に手が触れた瞬間、ビクリと震えてしまったのは彼に伝わったかも知れない。
九鬼を怖い……とは感じないが、逃げ出したい気持ちでいっぱいになってくる。
力で押さえ付けられている訳では無いのに、ひゆの意思とは関係なくソファーから動けないまま時だけが過ぎていく。
「何も心配する事は御座いません。私が全て貴女の良いようにして差し上げます」
ゆっくりと頬を撫でる仕草は甘く、蠱惑的な響きを含んだ声は耳孔を滑りひゆの心へと浸透していく。
跪いていた九鬼が軽く腰を上げ、二人の距離がいっそう縮まった。