モノクロォムの硝子鳥
「一方的に話をされても困ります。私には分かりませんし、行きたいとも…思わ……ッ…」
「失礼」
言い切って逃げてしまおうと、人垣の中に逃げ道を探して目を逸らした瞬間。
重力に逆らってひゆの身体がふわりと浮く。
何が起こったのか、瞬時に判断出来なかった。
大きく見開かれたひゆの瞳に映るのは、先程よりも更に近い男の姿。
――ぱさり、と何かが落ちる音が聞こえた。
一瞬にして距離を縮めた男はひゆの華奢な身体を掬い上げ、軽々と抱き上げてしまった。
驚いたまま固まっているひゆの耳へ、そっと唇が寄せられる。
「申し訳ありませんが、蓮水様には御屋敷に来て頂かねばなりません。手荒な真似は致しませんので、私と一緒にお越し下さい」
耳朶に触れた微かな吐息に、華奢な身体はぴくりと震えてしまう。
ひゆにだけ聞こえるように紡がれた柔らかな声音に、今まで感じた事の無いような震えが走る。
ひゆは思わず唇をキュっと噛んだ。
男の行動に、周囲の野次馬も言葉を失ったようにしんと静まり返る。
周囲に目もくれず、男はひゆを腕に抱き上げたまま踵を返すと、近くに停めていた黒塗りの車へと速やかに移動する。
車には運転手らしき別の男が既に控えており、近付いて来る男に合わせて扉を開いた。
「窮屈に感じられるかもしれませんが、到着までの間お寛ぎ下さい」
身を屈め、後部座席へと丁寧にひゆを降ろす。
普通の乗用車に比べれば車内は格段に広く、上質な革張りの座席はひゆの身体を柔らかく受け止めてくれた。
その隣に男は身を滑らせて乗り込む。
暴れて叫べば、野次馬の中の誰かが助けに来てくれたかも知れない。
けれど、混乱し過ぎてしまって抗う気持ちが追い付いていなかった。
扉が閉まり車はゆっくりと滑り出す。
降り出した雨はいつしか雨足が強くなり、集まっていた生徒達もその場を離れだす。
人がまばらになったその場には、男が持っていた傘が主を無くして地面に残されていた。