カウントダウン
 未来は造るものだ。過去は清算できるのである。浩は挫折の苦汁を味わった日本に嫌悪感を抱いて、祖国を捨てた。初対面の異邦人は、
「中国人か日本人か」
 と尋ねてくる。その際徐々に、
「日本人」
 と語気を強めていけるようになってきたのが、明るい兆しに感ぜられた。
 こうして二月ばかり経過した師走。佐川が浩を食事に誘った。二人は仕事を終えた後、桜近辺のパブで、酒を酌み交わした。
 佐川は身長百六十八センチで、金縁眼鏡をかけている。働き者だが、余り人間性の高い漢ではない。とりとめのない談話後、急ににやけた。
「所で御前はアリイシャとかいう女と付き合っとるのか?まだ」
「ああ」
 浩はピーナツを齧(かじ)った。
「御前。その女は売春婦で」
 浩は見る見る内に、不快になっていく。
「何故だ」
「この前俺は女を買った。メイファーでな。女はその、アリイシャだった」
 アリイシャが浩を訪ねて桜に来店した折、佐川は言葉は交わさなかったが、店内からアリイシャを見かけていた。
「本当か」
「ああ。間違いない。俺は顔を憶えていたし、彼女に詰問したんだ。田原は君の仕事を知っているのかって」
 双方は真剣に眼光を闘わせている。中世武者修行者の鍔迫り合いの如く。
「彼女は知らないって言ってた。彼女の弁によれば、生活費を稼ぐ為土日のみバイトでしているそうだ。何でも故国の父親が失業したらしく、仕送りが無い為だと」
 浩は急速に脱力していった。
「そうか。それで御前は、アリイシャと寝たのか」
 佐川は頷くのみだ。
 浩は立ち上がった。
「俺は、辞めるよ」
 浩は財布より金を取り出し始めている。
「辞める?馬鹿な真似は止せ」
 浩はポンド紙幣をカウンターに置いた。
「辞めてどうする?」
「分らん。パリへでも行く」
「パリ?」
「ロンドンには居られん」
 浩は全身に電流が走っている。肩を怒らせながら、居酒屋を出て行った。

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