ウォーターマン
「我々は全国民の身を護る義務がある。いかなる困難にも怯(ひる)まない」
 世論は北朝鮮非難一色に染まっていった。北朝鮮政府は日本を、
「日本軍国主義復活」
 と痛烈に罵倒(ばとう)した。併し、日本にも各国にも北朝鮮の見解をまともに受け止める者はなく、逆に北朝鮮に対する国民の反発が増しただけであった。
 久坂が笙子の恋人林生石と面話(めんわ)したのは、四月のことであった。中々の好青年に見受けられたが、久坂は疑念を払拭(ふっしょく)しきれず、国防省情報局に林の身元調査を依頼した。十月の遷都(せんと)を控えて情報局は多忙この上なかったが、創世党ナンバー2の直々の依願であった為、冷徹をもって鳴る坂下情報局長も内密の査察(ささつ)を引き受けてくれたのである。
 一月後、意外なところより林の身元が浮び上ってきた。北朝鮮の高山から送付されてきたスパイ一覧表に林と年格好、人相が酷似している人物を発見したのである。姓名は全英士と相違していたが、写真の面相(めんそう)は、どう見ても林である。久坂は火急に高山と連絡を取り、全英士の消息を捜求(そうきゅう)せよと依命(いめい)した。
(まさか、笙子がよりによって北朝鮮のスパイと付き合うとは)
 久坂は身辺に翳(かげ)る黒い霧に、焦燥(しょうそう)感を隠せない。磨生に即知らせるべきかとも思(し)料(りょう)したが、止めた。
(笙子は、あの男に騙(だま)されているのだ)
 そう思念(しねん)してくると、あのハンサムな林の面貌(めんぼう)に憎怨(ぞうえん)の炎が噴出してくる。
(手遅れにならぬうちに)
 久坂は一日千秋(せんしゅう)の思いで、高山からの上申(じょうしん)を待侍(たいじ)した。
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