ウォーターマン
多摩川
「戦争か」
 久坂は笙子を失ってから、暗鬱(あんうつ)の日夜(にちや)を送っている。日朝関係は刻々と戦乱へと進行しつつあった。
「戦争を知らない子供達が、戦争を知ることになる」
 久坂は共産主義、無政府主義教育全盛時代に学生生活を送り、その愚昧(ぐまい)性、非現実的、非人道的な思想に敵意を抱いている。磨生と歩んできたこの三十年は肯定できるし、
「創世党の政治思想である自由主義は、正しい」
 と信奉している。
 幼少の砌(みぎり)受けた教育というものは、恐ろしい。久坂は頭では、これから勃発しようとしている戦争は、正義の戦争(他国に数十年にもわたって拉致監禁されている自国民の救出を目的としているという点で、誰の目にも正当な戦争であった)だと理解していた。戦後の、
「平和」
 という仮面を纏(まと)った共産主義・無政府主義教育の中に育った久坂は、笙子の早逝(そうせい)と失脚という事態下で、生理的に戦争を忌避(きひ)し、
「その防止の為には、命を賭けてもいい」
 と思念している吾(われ)の変化に、愕然(がくぜん)と気づいていた。
(何とか戦争を避ける手だてはないものか)
 久坂は掛替(かけが)えの無い国土が、どう発展していくか予測不可能な戦争という惨禍(さんか)に、乗り出していくことが、耐え難い。
 ここ数日間、極東の風雲を横目で睨みつつ、久坂はそのことのみを考慮していた。久坂は尊皇(そんのう)の念が強い。久坂は或る思惑を抱きつつ、旧知の間柄である杉田侍従(じじゅう)長(ちょう)に、
「この度の政情に対する、陛下の意向を教えてほしい」
 と願い出た。
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