澁澤雑文店-澁澤わるつ短編集-
予測変換のジレンマ
あの人はどうして細かい事に気づかないのだろう。
 
持ち帰った仕事の中に彼のミスを見つけたわたしは、ため息をつきながらメールを打ちはじめた。

携帯のキーをぺこぺこ押して、「す」と打つと、予測変換機能のある携帯は、機械のくせにわたしの気持ちを先読みして、「好き」の文字を、予測される言葉の先頭に持ってきやがった。


(『好き』なんて大事なことは、携帯のメールで軽々しくいうもんじゃないんだよ……)


わたしはいらつきながら、本来入力すべき言葉、『出納』を入力した。


『出納』『請求書』『振込口座』……送りたいのはこんな言葉じゃない。

もらいたい言葉も『源泉徴収』とか『内税』とかではないのだ。
 

仕事仲間のはずだったのに、気がつけば好きになっていた。
自分の想いは、仕事の陰ですくすくと育っていく。

気がつけば、カタイ言葉にかすかな彼の面影をおっていた。

文字を打つたびに、予測変換ウィンドウにはいろいろな言葉が表示されていく。

メールを打ち終わって、文章の中の『す』の数を数えてみると、17個あった。


17個の『好き』が隠れたメールを送ったら、なんだか寂しくなった。


【END】
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