「何か元気ないわね、大丈夫?」
 
僕が部屋に入るなりエミリーが訊ねた。

その顔には化粧はされていなく、服装もいつもと同じでラフな感じだった。


「別に」
 
自分はこんなに悩んでいるのに、いつもとまったく変わらないエミリーを見て僕は余計に混乱した。

僕の心には何かもやもやとした怒りのようなものが漂っていた。


それは嫉妬だった。


「ならいいんだけど・・・、じゃあ始めようか?」
 
エミリーはそう言うとピアノの方へ歩き始めた。
 

僕はその背中に向かって自分でも思いもよらない言葉を口にした。


「もうピアノはやめたいんだ」


「えっ」とエミリーは言って振り返った。「どうして?冗談でしょ?」


「冗談なんかじゃないさ」


「でもマーク、あなたあんなに楽しそうにピアノを弾いていたじゃない」


「別に。そう見えていただけだろ」


「ピアノが嫌になったの?それとも私のことが嫌いになった?」


「別にピアノもあんたのことも最初から好きでも何でもないさ」
 

このときのエミリーの寂しそうな顔を、僕は一生忘れないだろう。

僕が言いたいことはほかにたくさんあったのに、その言葉を口にしようとすると、まるで唇が凍ってしまったように動かなかった。

そして、本心とはまったく違う言葉を次々と口走ってしまった。

きっと後悔すると分かっていたが、それでもそれらの発言をやめることも取り消すこともできなかった。

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