揺らぐ幻影

圧力鍋を使うと調理時間を短縮できるので大変重宝するのだけれど、

初心者だと爆発しそうで少し怖い。

好きな人ができて包丁を握るようになった感覚は、触れたいのに触れられない恋心に似ている気がする。


本日の作戦は『すれ違う時に微笑む』という控えめなものだった。

その理由は、立て続けに頑張り過ぎるとあまりに不自然で空回りする恐れがあるためで、。

リアリティを持って足踏み程度にしか進行しないのが、愛美と里緒菜のモットーなのだそうだ。


結衣は一応接客業経験者なので、それなりに笑顔には自信があるつもりだけれど、

果たしてそれを近藤が受け入れてくれるかは謎で、片思いにスキルは関係ないのだと知る。


団体行動がお好きな女子高生らしく、愛美と一緒にトイレに行くフリをして、廊下をゆっくりと歩いていけば、

階段から現れる姿――


煉瓦色のふわふわした髪――近藤と市井の後ろに里緒菜を見つけた。


彼女を見れば、なんとなくほっとする。
ピアノの発表会の時に先生を見ると緊張が緩む感じに似ていて、パニックの国から連れ戻してくれる。


好きな人とバッチリと目が合った瞬間、結衣はシュミレーション通りに微笑んだ。

ハリキリすぎて唇が裂けそうになったけれど、

アルバイトで他校の男子が来店した際に、彼らを意識させる程度の出来が成功しと思われる。


可愛いとされるアヒル口も少し首を傾けたりも上目遣いも、通常キメ顔と呼ばれるものをしっかりと披露できたはずだ。


  今日は香水学校来てつけたし

  ボディクリーム塗ってるし

  下のまつ毛いい感じに伸びてるし


鏡の中の自分を必死で思い出し、

色素の薄い彼の瞳の中が似合う子のはずだと言い聞かせる。

今日は最大限の営業スマイルな出来栄えだと洗脳させる。


ここまで来れば、アタシの居場所は君の瞳の中なんてロマンチックに色紙を書いて、路上で売ってみたいものだ。

それくらい結衣は女子高生を感動させる名言を唱える自信があった。


短いスカートから覗くのは、寒さか緊張か鳥肌だらけの生足だ。


  ……お願い、どうか

  近藤くん



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