善蓬は言葉に詰まった。古橋村は田中兵部大輔の兵に、包囲されているのだ。
「何とか夜陰に紛れて北へ脱出を試みるしか、手はあるまい」
「そうですねえ」
 議論の余地は無い。与次郎は即断し、早々に法華寺三珠院を辞し、山へ戻った。

 山々は紅葉の時季を迎えんとしている。息吹山地は美麗なる行楽シーズンを謳歌しているようだ。与次郎の心情は最悪だった。
(何とか治部少輔様を救け、大坂へ無事送り込む手立てはないか)
 山中を独歩しながら、祈るような心境である。
(神様、仏様、御先祖様。どうか私めに、治部少輔様を扶助できるだけの力を、お与えください)
 与次郎は埒(らち)も無い祈りを捧げながら、岩屋へ辿り着いてしまった。
 三成は端座していた。与次郎に気付くと笑顔で迎え入れた。与次郎は浮かぬ面持ちである。
(万事休すか)
 三成は悟った。
「どうであったか」
 明るく口言した。
 与次郎は作り笑いを浮かべている。
「殿。初志貫徹なされませ。今はそれのみが道で御座いましょう」
 空間が澄んでいる。
「今夜闇に紛れて出発されれば、必ずや天の御加護が殿に」
「左様か」
 三成は嘆息し、軽笑した。
「与次郎」
 三成は穏やかな声音である。
「わしは何故関ヶ原で敗れたか数日間ずっと考えておったが、今やっと分った」
 与次郎は三成の目睛に、見入った。
「わしは太閤殿下の御厚恩に報いるべく、豊臣家の天下を簒奪(さんだつ)せんとする老賊家康を討つ、と挙兵の主旨を標榜(ひょうぼう)してきた。その実現の為には兵を集めねばならない。大名を自軍に引き入れんと、勝利した暁には何処ぞで何万石を加増するとか、あの金吾中納言が如き親族である元養父太閤殿下を踏み躙る鼠賊(そぞく)にさえ、あろうことか関白の地位さえ約束した」
 与次郎は三成の熱弁に、胸を焼かれる思いである。
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