「わしは人々に義を提唱しつつ、内実は利によって勝利を掴もうとしていた。内府と同じ遣り口で豊臣家を護持せんとしておったのだ。人々はわしのやり方を目の当りにして、太閤殿下の後継者争いに名乗りを上げたと見た。わしは佐和山十九万石。如何に百二十一万石の毛利家。百二十万石の上杉家。五十七万石の宇喜多家を担いだとて、旗頭の毛利家が徳川家に内通しておっては勝ち目はない。徳川二百五十六万石か。石田十九万石か。群雄はどちらに勝ち目があるか秤(はかり)にかけた。石田の利より徳川の利の方が確実だと諸大名は結論を下し、わしはものの見事に捨てられた」
 与次郎は項垂れている。
「わしは孟子を読み、天下の政道の本を義にしたい、と一人気負っていた。だが政(まつりごと)には義は無い。利のみがあると、知悉(ちしつ)致した。しかしながらわしは世が利によって動くと悟了した今こそ、本物の義に生きたい」
 三成は与次郎の手をとった。
「わしがここに居る、と訴え出よ」
「ええっ」
 与次郎は声を大にしている。
「左様な事はできませぬ」
「成る程今宵発てば、万に一つ大坂へ行けるかもしれぬ。併しそれでは、そちはどうなる?わしを匿ったことが露顕(ろけん)すればそちばかりか、この村の者は皆殺されよう」
「元々治部少輔様にあの時頂いた命。村の者も治部少輔様の為ならば、黙って刑に服しましょう」
「その様な事態を、わしは断じて許さぬ」
 三成の語気は強烈である。
「わしはこの度の戦を、義によって起こした。今わしがそちの義に甘んじれば、わしは不義の者となる。されば関ヶ原の戦(いくさ)も矢張り義戦ではなく、利戦だったと見做されよう。それがわしには堪えられぬ。そちや村人の命と引換えにわしが生き長らえることは、わしの生涯を無意味にしてしまうことなのだ。分ってくれ」
 三成は目礼をした。与次郎は吐息している。


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