義
与次郎は観念せざるを得ない。
与次郎は与吉に対する激憤を抑制しながら、歩み始めた。田中伝左衛門が後続すると、一団は静に三頭山へ移動し始めたのである。
不本意な道案内をしながら、与次郎は輿をちらちら覗う。
(兵部大輔様は、武士の情けを御存知だ)
田中吉政も亦近江人である。そして三成には恩義があった。田中吉政は太閤の養子で関白を譲位された豊臣秀次の家臣に、太閤によって付傭されていた。田中吉政は秀次と合わず疎まれて致仕し、牢人していた時期がある。三成は田中吉政の才幹を惜しんだ。直参大名に取り立てる様太閤に進言して、田中は現在の地位を得たのである。
田中吉政は御家保全を期して徳川軍に参陣したが、三成の恩好を忘れてはいない。それがこのような形で現れたものであろう。与吉は今日午前、
「畏れながら」
と隣の持寺村に進出している田中兵の陣屋に、三成の隠伏を訴え出た。持寺村から四キロ南にある井ノ口村に本陣を構える田中吉政は、田中伝左衛門に迅速な捕縛を命じている。その際、
「治部少輔殿をくれぐれも、乱雑に扱ってはならぬ。丁重に扱え」
と念をおしていたのだ。
与吉は列の最後尾に、付き従っていた。与次郎の憤怒の面相を思い返している。
(わしの家族や。わしは家族と村人の命を救うのや。義父上。分ってくだされ)
与吉は、
「恩賞を貰いたかったのではない」
と与次郎に訴えたかった。
与次郎は与吉の動機等忖度(そんたく)しない。与吉が辻家と古橋村民の意向を裏切り、三成を敵に売ったという事実のみを憤悶している。
(吾が嗣子が、治部少輔様を売るとは)
与次郎は与吉を断じて許せない。
(関ヶ原で養父の太閤を裏切った、小早川秀秋の如き奸人や。殺しても飽き足らぬ奴)
としか映らないのである。
やがて一行は三頭山中腹にある、木立に隠された洞に着到した。与次郎は息を呑んだ。
「あの中に、治部少輔様は居られます」
小声で告げ、伏目になった。
「む」
田中伝左衛門は輿を置かせた。
「ここで待て」
と下命し、単身窟穴に入っていった。入口は急斜面になっている。田中伝左衛門は静寂に遮蔽された洞内に降りた。
与次郎は与吉に対する激憤を抑制しながら、歩み始めた。田中伝左衛門が後続すると、一団は静に三頭山へ移動し始めたのである。
不本意な道案内をしながら、与次郎は輿をちらちら覗う。
(兵部大輔様は、武士の情けを御存知だ)
田中吉政も亦近江人である。そして三成には恩義があった。田中吉政は太閤の養子で関白を譲位された豊臣秀次の家臣に、太閤によって付傭されていた。田中吉政は秀次と合わず疎まれて致仕し、牢人していた時期がある。三成は田中吉政の才幹を惜しんだ。直参大名に取り立てる様太閤に進言して、田中は現在の地位を得たのである。
田中吉政は御家保全を期して徳川軍に参陣したが、三成の恩好を忘れてはいない。それがこのような形で現れたものであろう。与吉は今日午前、
「畏れながら」
と隣の持寺村に進出している田中兵の陣屋に、三成の隠伏を訴え出た。持寺村から四キロ南にある井ノ口村に本陣を構える田中吉政は、田中伝左衛門に迅速な捕縛を命じている。その際、
「治部少輔殿をくれぐれも、乱雑に扱ってはならぬ。丁重に扱え」
と念をおしていたのだ。
与吉は列の最後尾に、付き従っていた。与次郎の憤怒の面相を思い返している。
(わしの家族や。わしは家族と村人の命を救うのや。義父上。分ってくだされ)
与吉は、
「恩賞を貰いたかったのではない」
と与次郎に訴えたかった。
与次郎は与吉の動機等忖度(そんたく)しない。与吉が辻家と古橋村民の意向を裏切り、三成を敵に売ったという事実のみを憤悶している。
(吾が嗣子が、治部少輔様を売るとは)
与次郎は与吉を断じて許せない。
(関ヶ原で養父の太閤を裏切った、小早川秀秋の如き奸人や。殺しても飽き足らぬ奴)
としか映らないのである。
やがて一行は三頭山中腹にある、木立に隠された洞に着到した。与次郎は息を呑んだ。
「あの中に、治部少輔様は居られます」
小声で告げ、伏目になった。
「む」
田中伝左衛門は輿を置かせた。
「ここで待て」
と下命し、単身窟穴に入っていった。入口は急斜面になっている。田中伝左衛門は静寂に遮蔽された洞内に降りた。