「与次郎」
 呼掛けられた与次郎が目を凝らすと、臥床(がしょう)しているおけいの向こうに人影が現れた。
「あっ治部少輔様」
 羽織袴姿の三成が正座している。
「嘆くな。義とは報われぬもの。それでも貫くものなのだ。死とは覚醒。死んで初めて義の意味が分る。我欲を超越した心は、死後も生きる」
「はい」
「与吉を赦(ゆる)してやれ。わしは怨んではおらぬ」
「ははっ」
 平伏(ひれふ)し、ゆっくりと頭を擡げると、其処には一陣の風が吹いていた。
(治部少輔様。分りました)
 与次郎は感謝しながら、合掌したのである。

 振り返ると与吉が来ていた。
「何か声がしたものですから」
「ああ」
 与次郎は与吉に打明けた。
「治部少輔様に諭された。お前を赦せとな」
「治部少輔様が」
「ああ。此処に来られた」
 与吉は両手を合わせた。
「義の道を教えてくだされた」
「治部少輔様が。このわしを赦してくださいますのか」
 与吉は痛恨の泪を流している。
「治部少輔様を売ったこのわしを」
「それが義や。そういうことなのや」
「治部少輔様。義父上。すいませんでした。わしの罪は生涯拭えぬでしょう。誠に申し訳ありませんでした」
 与吉は心から非を謝った。心底からの陳謝だった。

 辻家は再び安穏な日々を手にすることができたのである。

 それから十五年後。豊臣家は徳川家康の奸計によって滅亡し、徳川の治世は磐石となった。与次郎は三成が死守せんとした豊臣家敗亡の報に人生の空しさを実感しつつ、数年後にこの世を去ったのである。
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