義
「古橋村へお行きなさるとか」
士大夫の眼光は、鋭敏になった。
「私は古橋村の者で、辻与次郎と申します」
「そうか。何用じゃ」
「はっ」
与次郎は畏(かしこ)まった。侍を脇道に誘い、古橋村の窮状を訴えた。已む無く赤子を殺める者、夜逃げする者、娘を身売りする者等々悲惨な事例の列挙に、老漢も眉を顰(ひそ)めている。与次郎は最後に直訴状を取り出した。
「何とかこれを治部少輔様の許に、届ける手立てはありませぬか」
壮漢は不審気に直訴状を受取り、一読した。やがて士は感銘を受けた表情で、与次郎を見返した。
「わしは石田家家老、島左近と申す」
(あ)
与次郎は驚愕している。一見して篤実そうな武士だと感知し太閤ばりの赤心、
「自己を捨てて相手の懐中に飛び込む」
を以て奇策を用いた。まさか天下の豪傑島左近五十八歳であったとは、思いもよらぬ事態だった。
「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」
と謳われる名将と聞き、覚えず点頭してしまった。
島は白い歯を剥いている。
「わしも御主も運がよい。双方とも目的地に行かずして、使命を果たせた。与次郎」
「はっ」
与次郎は幸運に動転し、土下座している。
「この書状は必ず治部少輔様にお渡しする。殿は古橋村を捨て置かれまい。このことわしが請け負った」
与次郎は狂喜し、島の両手を握った。ごつい掌(てのひら)である。
「有難う御座います」
「文中に記されている、そちの命にかえても村を救わんとする志に感じ入った」
島は与次郎の肩を叩き、起立させた。
「そちは何を営んでおる?」
「庄屋です」
「そうか。殿は領民を、どの大名よりも慈愛されておる。村の事は殿に任せ、安心して仕事に励め」
「はっ」
与次郎は声を詰まらせた。
(この方なら、やってくれるに違いない)
与次郎は全てを島に一任すると、勇躍帰村したのだった。
士大夫の眼光は、鋭敏になった。
「私は古橋村の者で、辻与次郎と申します」
「そうか。何用じゃ」
「はっ」
与次郎は畏(かしこ)まった。侍を脇道に誘い、古橋村の窮状を訴えた。已む無く赤子を殺める者、夜逃げする者、娘を身売りする者等々悲惨な事例の列挙に、老漢も眉を顰(ひそ)めている。与次郎は最後に直訴状を取り出した。
「何とかこれを治部少輔様の許に、届ける手立てはありませぬか」
壮漢は不審気に直訴状を受取り、一読した。やがて士は感銘を受けた表情で、与次郎を見返した。
「わしは石田家家老、島左近と申す」
(あ)
与次郎は驚愕している。一見して篤実そうな武士だと感知し太閤ばりの赤心、
「自己を捨てて相手の懐中に飛び込む」
を以て奇策を用いた。まさか天下の豪傑島左近五十八歳であったとは、思いもよらぬ事態だった。
「治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」
と謳われる名将と聞き、覚えず点頭してしまった。
島は白い歯を剥いている。
「わしも御主も運がよい。双方とも目的地に行かずして、使命を果たせた。与次郎」
「はっ」
与次郎は幸運に動転し、土下座している。
「この書状は必ず治部少輔様にお渡しする。殿は古橋村を捨て置かれまい。このことわしが請け負った」
与次郎は狂喜し、島の両手を握った。ごつい掌(てのひら)である。
「有難う御座います」
「文中に記されている、そちの命にかえても村を救わんとする志に感じ入った」
島は与次郎の肩を叩き、起立させた。
「そちは何を営んでおる?」
「庄屋です」
「そうか。殿は領民を、どの大名よりも慈愛されておる。村の事は殿に任せ、安心して仕事に励め」
「はっ」
与次郎は声を詰まらせた。
(この方なら、やってくれるに違いない)
与次郎は全てを島に一任すると、勇躍帰村したのだった。