過去作品集○中編
ユカが帰ってから30分くらい経った頃だろうか。
『ただいま……』
小さな声と共に玄関の扉が開く音がした。
ここで寝たふりは、卑怯だと思った。
本当は「おかえり」って言おうと思った。
だけど、その勇気が出なかったんだ。
『翔? 寝てるの?』
桜はソファーでタヌキ寝入りする俺に呼びかけ、溜め息をつく。
『口紅ついてるよ』
『……え!?』
突然の言葉に驚き、今さらながら腕で口を拭(ヌグ)った。
『タヌキ寝入り。 ちゃんと部屋で寝なよ』
『……ごめん……』
俺の選択は、余計に気まずい雰囲気にしてしまったようだ。
『コーヒーでもいれるよ』
桜はそう言って笑うと、キッチンに入っていった。
目の前でカップに注がれるコーヒーを見つめながら、考えていた。
……桜が、どう思っているのかを。
『あっつ!!』
と突然、足元に痛みが走り我に返る。
よく見れば目の前のカップは満タン。
テーブルに広がり、俺達の足元へ……
それでもコーヒーを入れつづける桜がいた。
『桜! 入れすぎだってば』
『え……? あっ!! ごめん!』
焦ってティッシュで拭くが、焦りすぎて箱の中のティッシュが全部出る。
『俺がやるから…… 桜は座ってろ』
ソファーに座らせ、テーブルの上を拭く。
『ごめんなさい……』
今にも泣きそうな顔に、思わず笑みが零れた。
『ごめんね。 気まずくさせて』
『……ううん』
桜が帰って来てくれて良かった。
そう思ったんだ……