ことば
またしても彼女に見入っていた私は、バッチリ彼女と目が合ってしまった。
思わず口が動く。

「あの…」

何を言おうと思ったのか正直自分でもわからなかった。

彼女が自分のことなど覚えているわけがないとわかっているのに。

彼女は大きくて真っ黒な瞳をまっすぐにこちらに向けていた。
それは、吸い込まれてしまいそうなぐらいまっすぐな瞳だったので急に気恥ずかしくなり、目をそらそうかと思った次の瞬間その目元が柔らかく下がった。

そして隣の席に座っている男子学生に荷物を置いている座席を空ける様に頼んだ後、
左手で「どうぞ。」とジェスチャーした。

まさか自分に言っているわけがないと思い、思わず後ろを振り返る。
が、後ろには薄ら笑いを浮かべながら漫画を読んでいるいかにもオタクっぽい男が一人いるだけだった。

もう一度彼女の方を向き直す。

すると彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、私を指差し、
「あなた」とその形の良い唇を動かした。

そこでようやく事態を察し、慌てて頭を下げながら彼女の隣の席へと腰を落ち着けた。

「部室は見つかった?」
小声で彼女が囁いた。

驚いて彼女の方に顔を向ける。

間近でみるとますますパーフェクトだった。

「あっ、えっと、うん。まぁ…。」

我ながら本当に情けない声だった。

だってこんなに綺麗な子を目の前にしたら、私じゃなくとも誰だって緊張するだろう。
現に、彼女の逆隣りに座っている男子学生はさっきからずっとソワソワ落ち着かない様子だ。
横目で彼女を見てはノートに目をやり、また見ては前のホワイトボードに目をやったりしている。

「そっか。よかったね。カメラサークルに入ったの?」

(あ、標準語なんや。)
その時初めて彼女のイントネーションが自分とは違う事に気付いた。

「あ、うん。一応…。」

“一応”という表現は、優柔不断な私が良く使うものではあったが、この場合は本当に“一応”という言葉がふさわしい様に思えた。
だってまだ入学式の日以来一度も部室には行っていないし、写真だって撮っていない。
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