エングラム



あのビルの2階には、もちろん誰もいなかった。

「少し期待した…」

なんちゃって。
私は呟き、ふっと笑う。

とりあえず準備をして、適当に転がっていたパイプイスの埃を手で払い、そこに座った。

チューニングをして、積み上げた一週間の練習は無駄になっていないかを確認する。

ベースの低い音が、空間に響く。

ポールの音に少しでも届きたい。
彼らに、魅せたい音がある。

私は指を弦に走らせる。




数十分だろうか、それぐらい経った時だった。
カツンカツンと、低いメロディーから足音が見えた。

手を止める。

──警察だったらどうしようか…。

肩にかかったストラップを握る。
冷や汗が出そうだ。

カツンとまたひとつ、足音がして──…。


「警察だっ!手を上げろっ!」


「ひいいっ!」

反射的に、思わず両手を上げた。

座っていたパイプイスから勢い良く立ち上がり、そのせいでパイプイスが倒れた。

ガッシャアアアンッ、

今まで聞いたことがないくらい、大きな音に感じた。




「──…って、」

立ち上がり両手を上げた私は、冷静さを取り戻す。



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