かさの向こうに縁あり
お礼だけは欠かしたくなかった。

優しく接してくれたことに変わりはないんだ。


こんな風に裏切ってしまうことになるなんて、正直思いもしなかった。

悲しませたくなかったのに。


でも、もう逃げなければ、時間はない。

一瞬だけ深くお辞儀をすると、すぐに走りだした。



後ろ髪を引かれる思いがもちろんあったから、初めは遅く、ゆっくりと。

それでも徐々にスピードを上げていって、振り返ることなく駆け抜ける。


背後に耳をすませても、平助と服部が刀を交えたような音は、まったく聞こえない。

事を穏便に済ませるのが平助だ、説得しているんじゃないかな、なんて想像すると、つい目頭が熱くなる。

それに、彼が何かしらの処分を受けることになってしまわないかが心配……なんて、人のことを心配している余裕はない。


一度左に曲がって、ただひたすら前だけを見据えて走った。



走りながら流れていくものは、時だけではなかった。

それは頬を伝って、過去の場所に落ちていく。


さっきはまったく抱かなかった感情が、突然押し寄せてきた。


離れたくない人と離れなければならないことが、こんなに辛いとは思わなかった。

加えて、それだけ大事に思っていたことに対しても、少しばかり驚いている。



本当は、一つも――



「――想ってないことなんて、ないんだよ、平助」



そっと呟いては、そうなんだ、結局そうだったんだね、と自分に言い聞かせるように相槌を打ってやる。


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