ココア



「や、なんでもない」


なんでもなくない!

て、言いたかったけれど、今日初めて見せる無邪気な笑顔に見惚れて言えなかった。



店を出ると、雨はますます勢いを増して降っていた。

西原くんは、思わずしかめっ面した私の腕を引っ張って、地下街を指差す。


雨のせいで、地下街はいつもよりも人が多く歩きにくい。

オマケに今日は金曜の夜。


愉しげな笑顔の人たちや、早足で家路を急ぐ人たち。


そんな中を、二人で歩く。


人にぶつかってばかりの私を笑う西原くんは、もういつもの西原くんに戻っていた。


あの、苦しくなるくらいの穏やかな笑顔も、

遠くを見る目も、

彼はいつもそっと一人で抱えているんだろう。


陽子さんがいなくなってからは、ずっと一人で。





< 147 / 247 >

この作品をシェア

pagetop