ホタル


「…ごめんね、戻って来ちゃって」


あたしの声が、コーヒーの中に溶けた。
口に含んだコーヒーは、思った以上に苦い。

「…謝るのは、私だわ」

お母さんが呟く。

「駄目な母親で…本当に、ごめんね」


緩やかに流れる時間。

思った以上に、あたしの心は穏やかで。


「…誰のせいでもないよ」


…そう、誰のせいでもない。

そう思える様になったのは、時間がたったからだろうか。


想いが、優しく変わったからだろうか。


「お父さん、久しぶりに朱音に会えるってそわそわしてたわよ。恥ずかしがって、書斎に籠ってるけど」

困った様に笑いながら、お母さんが言った。
あたしも笑って、「あとで覗いてみるよ」と返す。

お母さんの瞳が揺れていたことには、気付かないふりをした。



「…裕太」


お母さんが、落とすように呟く。

カチャンと、コーヒーカップを置く。


「裕太、部屋にいるわよ」


お母さんの声は優しかった。

あたしも残りのコーヒーを飲み、そっとテーブルに戻す。

小さく微笑んだ。

お母さんも、優しく微笑み返してくれた。











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