唐女伝説
小助は彼等権力者・エリート達の誰一人として道山に手を貸そうとせず、危害さえ加えて殺そうとしている現状に憂憤し、世の中というものに失望し、怨嗟の声を心中絶叫した。
(兄者)
小助は無惨な兄の瀕死体に誓った。
(もう誰も頼らない。儂だけで、儂と兄者だけでやろう)
小助は仕事を休んで付きっきりの看病をした。お陰で二月後に道山は治癒したものの、小助は失職し、五月雨の季節の下、全てを失った兄弟は、都の雑踏の中に紛失していったのである。
道鏡は楊貴妃に唐姫と名付け、妻帯はできないので、愛人としてその豪奢な家宅に同居させていた。楊貴妃には外出の自由もなく、道鏡以外は侍女と見張り番としか会話できない。敷地内の離れ、六畳と四畳半の二部屋が彼女の全世界だった。
楊貴妃は夜が怖い。道鏡は毎夜楊貴妃の離れを訪れ、四畳半の寝室で何度も楊貴妃を獣の様に襲った。楊貴妃は毎晩強姦されているようなものであった。毎日脱出の方策を思案せずにはおれないが、楊貴妃の離れの周囲には警固の者と称する番人が常に二三十人は駐在している為、不可能であった。楊貴妃の気持ちは日に日に荒んでいき、いっそ死のうとも思ったが、死ぬのは口惜しい。日夜死生の間を流浪している。この様な無間地獄が、彼女の全存在を覆い隠していたのである。
年月が巡っていく。小助と道山は、吉野の草深い山中に庵を営み、自給自足の生活に追われる日月だった。道山は村童を相手に習い事を教え、小助は山野を徘徊して食料を調達していた。無論月に一回程は都へ出て、道鏡邸の様子を探ったが、到底二人で忍び込むなどといった芸当は不可能に思われた。二人はそれでも何時の日か楊貴妃を道鏡邸から救出する日を信じて、忍耐の日子を受容していた。
そんなある日、小助が都へ出てみると、時の上皇孝謙女帝が行幸先の近江保良宮で病に罹り、道鏡が治療の為に彼の地に向かった、という耳寄りな情報が手に入った。調査してみると、道鏡に従事して警邏の者の主立った者達は近江に行き、道鏡邸内警備の者は留守部隊が十人程度に減らされて手薄になっていた。
(これは、今をおいて時は無し)
小助は本願成就の時間を天が与えてくださった、と躍升する思いで吉野へ帰り、道山にこのことを伝えた。道山も喜躍し、
「早速、明日都へ上ろう」
と声勢高らかに声張した。
(兄者)
小助は無惨な兄の瀕死体に誓った。
(もう誰も頼らない。儂だけで、儂と兄者だけでやろう)
小助は仕事を休んで付きっきりの看病をした。お陰で二月後に道山は治癒したものの、小助は失職し、五月雨の季節の下、全てを失った兄弟は、都の雑踏の中に紛失していったのである。
道鏡は楊貴妃に唐姫と名付け、妻帯はできないので、愛人としてその豪奢な家宅に同居させていた。楊貴妃には外出の自由もなく、道鏡以外は侍女と見張り番としか会話できない。敷地内の離れ、六畳と四畳半の二部屋が彼女の全世界だった。
楊貴妃は夜が怖い。道鏡は毎夜楊貴妃の離れを訪れ、四畳半の寝室で何度も楊貴妃を獣の様に襲った。楊貴妃は毎晩強姦されているようなものであった。毎日脱出の方策を思案せずにはおれないが、楊貴妃の離れの周囲には警固の者と称する番人が常に二三十人は駐在している為、不可能であった。楊貴妃の気持ちは日に日に荒んでいき、いっそ死のうとも思ったが、死ぬのは口惜しい。日夜死生の間を流浪している。この様な無間地獄が、彼女の全存在を覆い隠していたのである。
年月が巡っていく。小助と道山は、吉野の草深い山中に庵を営み、自給自足の生活に追われる日月だった。道山は村童を相手に習い事を教え、小助は山野を徘徊して食料を調達していた。無論月に一回程は都へ出て、道鏡邸の様子を探ったが、到底二人で忍び込むなどといった芸当は不可能に思われた。二人はそれでも何時の日か楊貴妃を道鏡邸から救出する日を信じて、忍耐の日子を受容していた。
そんなある日、小助が都へ出てみると、時の上皇孝謙女帝が行幸先の近江保良宮で病に罹り、道鏡が治療の為に彼の地に向かった、という耳寄りな情報が手に入った。調査してみると、道鏡に従事して警邏の者の主立った者達は近江に行き、道鏡邸内警備の者は留守部隊が十人程度に減らされて手薄になっていた。
(これは、今をおいて時は無し)
小助は本願成就の時間を天が与えてくださった、と躍升する思いで吉野へ帰り、道山にこのことを伝えた。道山も喜躍し、
「早速、明日都へ上ろう」
と声勢高らかに声張した。