唐女伝説
 道山は楊貴妃に面会するや筆談で色々質問をし、一頻り得心がいくと、
「儂の知人に、宮中内道場で密教の禅師をしておられる道鏡という方がおる。道鏡殿ならば、藤原仲麻呂様を御存知の筈。儂から早速明日にでもこのことを知らせて、仲介をしてもらおう」
 と俄然やる気になってくれた。そして、
「念のため」
 と藤原清河の書を受け取り、帰っていった。小助は見送る際、
「その道鏡とやらは信用できようか」
 と思い切って尋ねてみた。道山は、
「安心しろ。道鏡殿は天下にまたとない程の人物。儂は、良弁先生の下で道鏡殿と共に学び、可愛がって貰った間柄じゃ。道鏡殿は実に頼りになる兄弟子やった。密教教典と梵文の研究の第一人者でのう。あの道鏡殿に頼めば、間違いはない」
 と道鏡に心酔しきっている様であった。小助は兄の公言を信頼し、道山に平城京での仕事を一任したのである。
 翌日は雨天だった。小助と楊貴妃は、生憎の雨なので平城京散策もできず、とりとめのない話題で暇を潰していた。楊貴妃は、   
「安禄山めは、私の養子にまで取り立ててやったのに、恩を仇で返すような真似をした大悪党だ。如何にも誠実な能吏といった外見に、玄宗皇帝陛下も私も皆欺かれてしまった」
 と口惜しそうに、愚痴を零していた。楊貴妃は小助に心を許して以来、時たまこういう鬱憤を露わにすることがあった。楊貴妃自身もこの様な時の自己を嫌悪していたが、小助が泰然自若として自分の憤言を静聴し、心底同情してくれ、
「貴方ばかりは、何を言ってもされても許される稀有なお方です」
 と言上してくれるので、つい甘えてしまうのである。楊貴妃の方が小助より長身で、年かさであったが、小助にはその様な包容力があった。小助が純朴で優然としているからかもしれない。
「でも、それよりも悲しかったのは、信用していた扈従の者達が、我が楊一族を乱の元だと批難し、私達を殺そうとしたこと。飼い犬に手を噛まれる痛み程残酷なものはない」
 楊貴妃は一年以上たった今でも、当時の悪夢に魘されて夜半飛び起きてしまうことがある。そんな時、小助は丸で玄宗皇帝の如く楊貴妃を優寵してくれた。楊貴妃は少々頼りないが、併し全幅の信頼をおける、この小助のみが命の蔓だったのである。
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