剣と日輪
 邦子だった。邦子はホール内の景況(けいきょう)に、一切観応(かんおう)していない。そういう種族なのである。
「そうだね」
 公威は席を立った。邦子も。恋情(れんじょう)は前時代に凝固(ぎょうこ)されており、別れは余響(よきょう)に過ぎなかった。
「ごきげんよう」
「お元気で」
 公威の仮作(かさく)の初恋は、ここに終息(しゅうそく)したのだった。

 公威には、職も伴侶も無い。裸一貫からのスタートである。公威は不安と躍動(やくどう)感の渦中(かちゅう)で、試作の刻(こく)字(じ)を索(さっ)求(きゅう)していた。晩秋の一時を伊豆大島に遊び、公威は命の洗濯をした。
 そして十一月二十五日木曜日、正午の時報を合図の様にして、公威は、
「仮面の告白」
 に取掛かったのである。
「美」
 に溺(おぼ)れ、
「美」
 を求道(きゅうどう)し、
「美」
 に殉(じゅん)じた公威の後半生が幕を切ったのだった。
 極東国際軍事裁判所に於いて絞首刑(こうしゅけい)の判決を下されたA級戦争犯罪人、東条英機元首相、広田弘毅元首相、板垣征四郎元朝鮮軍司令官、木村兵太郎元関東軍参謀長、松井石根元中支派遣軍最高司令官、武藤章元比島方面軍参謀長の七名は、十二月二十三日に処刑された。
 翌日岸信介以下十九名のA級戦犯が釈放となり、昭和二十三年は占領国の意のままに暮れたのである。
 公威は十一月に、
「盗賊」
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