剣と日輪
 公威は敵愾心(てきがいしん)を擽(くすぐ)られた米国本土から、属領プエルトリコを経由して、一月二十七日午前一時過ぎに、リオデジャネイロに降立った。
 リオは、謝肉祭(しゃにくさい)前夜だった。二月二十三日ハイヌーンより、二十七日午後十二時迄リオっ子を熱狂させる高名な、
「リオのカーニバル」
 を一目見ようと、公威は長期滞在を決め込んだ。
 公威は情熱の国に、浸淫(しんいん)していた。日中は直射日光を避けてホテルで昼寝し、夜間に執筆活動をした。案内役の茂木政朝日新聞通信員が頻(しき)りに観光に連れ出してくれたが、公威はうざったがった。茂木は、
「体でも悪いのかな」
 と不審(ふしん)がったが、真相は違っていた。
 公威は一人で街中をうろつき、十七八の小汚い年少者を公園等で拾っていた。後は言わずもがな、である。貧乏な美少年達は、公威の金銭に操られ、男色の性(せい)技(ぎ)を注がれていた。
公威は南米で、
「禁色」
 の取材と実益(じつえき)を兼ねた淫乱(いんらん)な昼夜(ちゅうや)を、満喫していたのだった。ホテルに公威を訪ねようとした茂木は、浅黒いがっしりとしたティーンを連れて帰室しようとしていた公威とぶつかった。公威には後ろめたさが無く、茂木は目を白黒させるばかりであった。
 ブラジルの淫靡(いんび)なしょうの締め括(くく)りは、
「リオのカーニバル」
 だった。サンバのリズムにリオは陶酔(とうすい)し、遊楽(ゆうらく)のうねりが、この大都会を呑み込んでいった。
 公威はカーニバル期間中二夜を、
「ハイライフ」
 というナイトクラブで踊り明かし、ラストナイトは、
「ヨットクラブ舞踏会」
 で酔い痴(し)れた。

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