剣と日輪
 手元のキャッシュは、微々(びび)たるものだった。とてもグランドホテルの宿泊費なぞ払えない。トラベラーズチェックは再発行して貰える見通しがついたが、それまでが問題だった。
 公威はパリ滞在中だった映画監督の木下恵介の奔走(ほんそう)により、日本人が経営している下宿屋、
「ぼたんや」
 に逗留(とうりゅう)するようになった。
 木下もブローニュの森が見えるこのパンシオンに、寝泊りしていた。ホテルを使うより、遥かに経済的だったからだ。木下は三十九歳で、松竹でメガホンをとっている。高峰秀子主演の、
「カルメン故郷に帰る」
 で一世を風靡(ふうび)した名監督である。一見機械屋風であった。
 公威は、
「ブラジルで遊蕩(ゆうとう)した付けが、回ってきたのだ。真面目にやろう」
 と盗難に遭った直後は改心し戯曲(ぎきょく)、
「夜の向日葵(ひまわり)」
 に没頭(ぼっとう)していた。
「ぼたんや」
 には木下を目当てに、コンセルヴァトワールの留学生黛敏郎や、画家の佐伯繁次郎等が足を運んでいた。公威は話相手といえば木下のみであったので、彼等と引き合わせて貰い、大いに交歓(こうかん)したのである。
 公威が二十三歳のフランス政府給費留学生黛と邂逅(かいこう)したのは、三月十八日の黄昏(たそがれ)時(どき)だった。黛はスマートで、洗練(せんれん)されていた。滞仏七ヶ月に及び、三人の内最年少であったが、パリの盛り場に精通(せいつう)していた。
 公威の放蕩(ほうとう)の性(さが)が、そろそろ息を吹き返している。初対面で行き成り、
「パリのゲイバーに、行きたい」
 と臆面(おくめん)も無くオーダーした。
(何て正直な)
< 130 / 444 >

この作品をシェア

pagetop