剣と日輪
「生まれてこの方、賞など貰った例(ためし)がない。小学校の徒競走(ときょうそう)でも、常にビリだった。三十を前にして、やっと当時の恥辱(ちじょく)を晴らせた様な、そんな気分です」  
 とやや捻(ひね)くれた受賞の弁を、残している。言外(げんがい)に、
「文学賞や、作家のステータスなど、幻影(げんえい)に過ぎない。人間の価値は、その人物の本質にある」
 という気韻(きいん)が込められていた。公威は、超然たる英偉(えいい)だったのだ。
 
 公威は三十を分水嶺(ぶんすいれい)に、
「作家」
 から一歩踏み出そうとしていた。
「年少の頃抱いていた夢は、全て実現されてしまった」
 と公威は自慢ではなく、そう嘯(うそぶ)いていた。
「人生の目標」
 というものは、実現不可能だからこそ、思い描けるのである。達成してしまったら、人はどうすればよいのか。壮大な無理難題に標準を切替え、それに立ち向かって玉砕(ぎょくさい)するか、酔生夢死(すいせいむし)となるしかないであろう。
 そう思い悩んでいた昭和三十年九月、公威はとある書房の店先で、週刊読売のグラビアを目にした。日本ウエイトリフティング協会が主催した、
「重量挙げ競技大会」
 の中で、ボディコンテストが挙行され、優勝者である早稲田大学生窪田登と、バーベルクラブの鍛錬(たんれん)の場裏(じょうり)の写真が記載されていたのである。
 マッチョマンの横に活字体で、
「ボディビルをすれば、君もこんな体を手に入れられる」
 というキャッチコピーが躍(おど)っていた。筋骨(きんこつ)隆々(りゅうりゅう)たる大学生の筋肉美は、公威の情意(じょうい)を甚(いた)く刺激した。
「理知」
 の分野で公威は功成り遂げた。
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