剣と日輪
「劣等感の呪縛(じゅばく)からの解脱(げだつ)が、身の破滅によって終止(しゅうし)符(ふ)が打たれる」
 という骨子(こっし)である。公威の晩年を兆見(ちょうけん)するような、梗概(こうがい)だった。
「三島文学の金字塔(きんじとう)」
 と高評価される、
「金閣寺」
 は昭和三十一年十月に連載を終了し、新潮社より発刊された。
 売出し翌月の十一月には再版され、翌年までに十二万三千部が民情(みんじょう)に融解(ゆうかい)されていったのである。
「金閣寺」
 は読売新聞や日本経済新聞各紙上でも、
「昭和三十一年度のナンバーワン、代表作」
 と絶賛(ぜっさん)された。
 昭和三十二年一月には、
「第八回読売文学賞」
 を冠され、
「三島由紀夫」
 は日本の芸術界を征服した観(かん)があった。
 プライベートな面でも公威は、転機を迎えつつあった。昭和二十九年夏(か)月(げつ)に交際し始めた十歳下のしゅきと、肉体関係を結んだのである。二十九歳にして、やっと童貞(どうてい)を捨てたのだった。
 公威は、
「筆(ふで)下(お)ろしをした女」
 とデートを重ねたが、結婚する気は皆無(かいむ)だった。恋人が料亭の娘で、家柄や門地(もんち)に拘(こだわ)る梓の不許可が、目に見えていたからだった。

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