剣と日輪
 という西洋かぶれを侮易(ぶい)するニュアンスが押隠れている感想を、洩らしてくれた。
 梓も、
「もうちょっと落ち着く家は、できなかったのか」
 と嗟嘆(さたん)していたが、公威は、
「俺に相応しい立派な家ができた」
 と悦欣(えっきん)するばかりであった。
 六月二日、長女紀子が誕生。平岡家に二十九年ぶりに、赤子(あかご)が降臨(こうりん)したのである。梓と倭文重の喜躍(きやく)は相当なもので、公威も我が子の愛おしさに、生人(せいじん)の喜寿(きじゅ)を謳歌(おうか)した。
 六月二十九日には、
「鏡子の家」
 を脱稿(だっこう)し、公威は人並の福運(ふくうん)を賞味(しょうみ)していた。
「鏡子の家」
 は九月二十日に、新潮社より刊行された。公威はこの作品に精魂(せいこん)を込め、絶対の自信を持っていた。
「鏡子の家」
 は一月で十五万部のセールスを記録したが、評論家は、
「三島の失敗作」
 という酷評を下した。
 公威は、
「鏡子の家」
 によって、
「時代」
 を描こうとした。
「時代」
 を現在進行している者には、
「時代」
 は見えない。それどころかとんでもない勘違いをしているケースが、多い。
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