剣と日輪
「憂国」
 活動への導火線の役割を担ったのだった。
 公威は、
「鏡子の家」
 で作家活動の限界を悟徹(ごてつ)した。
 昭和三十五年は、
「安保闘争」
 の年である。
「日米安全保障条約改定」
 を巡り時の首相岸信介が、一人で共産主義、無政府主義者に扇(せん)動された暴民に立向かい勝利した、戦後日本の方向を決定した政治闘争である。
 若しこの時何時の間にか日本のインテリ層を蝕(むしば)んでいた共産主義、革新、左翼という実態と懸離(かけはな)れた美名を使う独裁主義者達の思惑通り、
「日米安保」
 が破棄(はき)され、自衛隊が解隊され、非武装中立という事態に日本が陥(おちい)っていたならば、ソ連の侵略を受け、北朝鮮や中国の二の舞になっていた可能性がある。
 当時、
「安保闘争」
 を煽(あお)ったマスコミや文化人の主流を占めた共産主義、無政府主義者達は、北朝鮮を、
「地上の楽園」
 と奉(たてまつ)り、ソ連を理想国家としていたからである。
 この未曾有(みぞう)の危難(きなん)から日本人を救ったのは、六十四歳の、
「元A級戦犯」

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