剣と日輪
 岸信介だった。
 岸は梓の一高、東京帝大時代の同級生である。岸と梓は農商務省に同期入省し、当然ながら面識もあった。岸は梓を、
「凡庸(ぼんよう)な官吏」
 と看取(かんしゅ)していた。実際梓は優秀な官僚ではなかった。
 梓は岸を、
「至極有能な男」
 と分かっていたが、
「そりが合わない」
 と敬遠していた。公威は三年前岸が首相に就任した時分梓が、
「岸は良し悪しは別にして、必ず何かを成し遂げるだろう」
 と予言めいた所感(しょかん)を吐いた情状(じょうじょう)を憶想(おくそう)した。
「安保闘争」
 は昭和三十四年三月に、
「安保改定阻止国民会議」
 が結成され、四月に安保阻止第一次統一行動が起こされた頃から、始まる。十一月の安保阻止第一次統一行動では、労組(ろうそ)、全学連を中心とするグループが国会内に入り込み、一時間余居座り、
「安保改定阻止」
 を強訴した。
 昭和三十五年一月十六日、岸首相、藤山外務大臣等新安保調印(ちょういん)全権団が羽田空港から渡米した。全学連は暴徒化し、羽田空港に座り込み、警官隊が出動する騒ぎとなった。新日米安保条約と行政協定がワシントンで調印されたのは、一月十九日であった。
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」

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