剣と日輪
 公威は、
「論争ジャーナル」
 と、
「早大国防部」
 を、
「国土防衛隊」
 の定礎(ていそ)と試案していた。
「日学同」
 であり、
「早大国防部」
 でもある斉藤英俊や宮崎正弘は公威の、
「国土防衛隊」
 構想に、
「短兵急だ」
 と賛同できかねていた。
「三島先生の私兵に仕立て上げられるのではないか」
 という狐疑(こぎ)に駆られ、
「国土防衛隊に人数を裂かれては、日学同は立ち行かなくなる」
 と危惧(きぐ)したからである。
 二人は三島邸で、
「地道な学生運動の積重ねこそ、選択すべき道である。三島先生の練られているラジカルな手法では、共産主義、無政府主義者と同じだ。必ず挫折する」
 と説いた。
「幕末、久坂玄瑞等が指導した長州の急進派は一時的に京都政界を掌中(しょうちゅう)に収めたが、やがて薩摩、会津に追い落とされた。その轍(てつ)を踏むことになります」
 と歴史的視点からの説得をした。
 公威は、両名に言い放った。
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