剣と日輪
 とは別人のようだった。両手を後手に組み、
「英霊」
 の国家鎮護を訴える必勝には、
「英霊」
 を戦争犯罪人と指弾し、
「悪霊」
 扱いしている共産主義・無政府主義者に対する義憤が内蔵されていた。知人達は必勝の様変わりに、異様の念を持ったのだった。
 必勝はその後帰郷し、バカンスを楽しんでいたが、八月二十日にチェコ事件が勃発すると直ちに上京した。
 チェコ事件とは、一月にチェコスロバキア共産党第一書記に就任した、改革派のドブチェク政権下で実施された出版物検閲廃止等の一連の民主化政策、  
「プラハの春」
 が宗主国ソ連に、
「反革命」
 と見做され、ソ連、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア五カ国軍二十万余がチェコスロバキアに侵入した暴挙である。
 チェコスロバキア人は一致団結して、
「非暴力抵抗」
 を試みたが、ソビエト帝国の武力弾圧に屈し、翌年四月にドブチェクは解任され、チェコスロバキアの民主化の火は消えるのである。
 必勝は、
「ソ連の横暴」
 に対し在京日学同メンバー五十名を募って、八月二十四日ソ連大使館前で抗議の座り込みを断行した。
 必勝はチェコ事件を、北方領土返還運動発展の引金にしたかった。チェコ事件によって人々は共産主義の仮面の下にある、
「一党独裁の恐怖政治」
「世界侵略計画」
 等を目の当たりにしている。
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