剣と日輪
 がデモや騒擾(そうじょう)を繰り返し、大学もゲリラ闘争の場と化した。公威は山本一佐の特殊訓練を修めた後も七月二十五日から八月二十三日にかけて、祖国防衛隊員三十三名を率いて陸上自衛隊富士学校滝ヶ原分とん地に、体験入隊を行っていた。今度の体験入隊では、
「小隊戦闘」
 の自得を主眼に置き、隊員に卒論テーマとして与えた。
 
 九月以来、公威は四十名に増員された祖国防衛隊を共産主義・無政府主義者に対する武闘組織に改編すべく、新名称を隊員と共に考案中だった。或る隊員が候補に上げた新名は、
「御楯(みたて)会」
 である。文久二年に勤皇(きんのう)の志士久坂玄瑞が結成した尊王攘夷結社、
「御楯組」
 に倣(なら)おうとしたのである。
 又、
「楯」
 の出自(しゅつじ)は、越前出身で後に正岡子規より、
「万葉集、実朝以来の歌人」
 と高評された幕末の歌人、国学者橘曙覧(あけみ)の歌、

大皇の醜の御楯という物は
如此る物ぞと進め真前に

 に求めた。
「御楯会」
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