剣と日輪
 のネーミングは隊員から好評を得たが、公威は、
「イメージが硬過ぎる」
 として、
「楯の会」
 と改案した。
 公威は結成前祖国防衛隊を、官財界のバックアップを基礎にした民間防衛組織と位置付けていた。幹部を養成し、その下に産業界の協力により、サラリーマン戦士を募るという画期的な構想だった。財界の名士を訪ね歩き資本提供と協力を申し出ていたのであるが、或る出来事が、公威の長期的視野に立った展望を粉々に打砕いたのである。
 それは藤原岩市に紹介され、広島県出身の日清紡績会長で日本経済団体連合会代表常任理事を勤める桜田武六十三歳に、祖国防衛隊への資金協力を依頼した席で起こった。桜田は軽く三百万円の資金援助を快諾しながら、
「喜んで三百万位なら出そう。併し三島君、この金で私兵なんぞをこしらえては駄目だよ」
 と念押しをしたのである。
 公威は桜田の発言意図に、激情した。
「俺は日本の為に祖国防衛隊を創設しようとしているのだ!ふざけた事を抜かすな!」
 公威はそう怒号するところであったが、かろうじて胸元に呑みこみ、桜田の資金提供を蹴ったのだった。
「財界の頭である日経連の代表があれでは、横の繋がりを根本にした祖国防衛隊などできない」
 それからというもの公威は私費で祖国防衛隊を育成し、自衛隊以外の政官財界との連携を絶った。
「尽忠報国」
 の気骨溢れる者だけの、
「縦」
 の組織。それが、
「楯の会」
 なのだ。公威は彼等を率い、共産主義・無政府主義者と刺し違える闘魂を燃上らせていた。
< 244 / 444 >

この作品をシェア

pagetop